2020年10月10日

A20 戦後沖縄、ラジオ局のはじまり

2019年6月23日の沖縄慰霊の日、J-WAVE (東京 81.3MHz)が放送し、ギャラクシー賞を受賞した番組がポッドキャストとして公開されました。番組のテーマは、ジョン・カビラさんの父親、川平朝清(ちょうせい)さんが、沖縄米軍が始めた日本語ラジオ放送局に関わるようになった経緯について、カビラさんが父親にインタビューする歴史に残る番組です。

GENERATION TO GENERATION〜STORIES OF OKINAWA〜 再放送 ('20.08.04)

【エピソード5】
[SPINEAR] J-WAVE SELECTION GENERATION TO GENERATION ~STORIES OF OKINAWA~ EPISODE 5 : 戦後、沖縄でのラジオ放送の始まり話

米軍のラジオ局「コールサイン AKAR」(1949年に開設された、のちのKSAR)の設備を利用して、まだ当時、ラジオをもっていない市民に対して、どのようにラジオを聴かせていたのか、についての興味深いエピソードです。オープニングメッセージは英語と日本語で「こちらは琉球放送局、AKARです。AKARは、アメリカ軍琉球列島軍司令部民間情報教育部によって所有され運営されている放送局です。」でした。また、「親子ラジオ」の意味も。

【エピソード6】
[SPINEAR] J-WAVE SELECTION GENERATION TO GENERATION ~STORIES OF OKINAWA~ EPISODE 6 : 川平朝清のお兄さん、朝申がなぜ沖縄にラジオを作ろうと思ったのか

ジョン・カビラさんにとって、おじにあたる朝申(ちょうしん)さんがなぜ沖縄でラジオを始めようと思ったのか、というエピソードです。台湾での放送局の経験を買われ、沖縄でラジオを始めるまでのきっかけを知ることができます。当初は、周囲から反対されていたそうですが、そのあたりのエピソードも興味深いです。また、九州で放送されていたラジオを短波放送で受けて、という話も。

このAKAR(KSAR)はのちの「RBC 琉球放送 (JORR 738kHz) 」の前身となりました。戦後沖縄のラジオ放送局の歴史を語る重要な生き証人と言えるでしょう。

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posted by ラジオの声 at 14:28| 中波ラジオ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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