2023年02月26日

B22 VOA沖縄送信所に関する密約で知られた西山記者逝去

毎日新聞などによると、「沖縄密約」問題を追及したことで知られた元新聞記者西山太吉(たきち)氏が 2023年2月24日に亡くなった。

『沖縄密約』とは、沖縄返還を直前に控えた71年、当時存在していたVOA (Voice of America) の沖縄送信所について、その廃止と土地返還を求める日米政府間の交渉の過程で、本来、米国政府(ニクソン政権)が負担すべき「軍用地原状回復補償費用」を日本政府(佐藤内閣)が肩代わりした、とする密約(極秘文書)のこと、とされる。

その事実は当時の国会で取り上げられたが、外務省内部で「極秘文書を漏らした犯人」探しが始まり、その後、その内容を入手した毎日新聞記者の西山氏らが国家公務員法違反に問われ、78年、最高裁にて有罪が確定した。

この問題については、80年代、90年代になってもなお日本政府が密約の存在を否定し続けていたが、2000年から02年にかけて、米国で義務付けられている公文書公開の記録から、『沖縄密約』の存在が明らかとなり、09年、西山さんらが国を逆提訴したものの(*1)、最高裁による上告棄却により(日本政府資料の)不開示が14年に確定している(*2)。

ただし、1審(東京地裁)において、交渉当時、外務省の北米局長を務めていた吉野氏(故人)が、証人として出廷し、密約が事実であることや、その中に記載されたイニシャルBYが自分であることを認めている。結果として、沖縄密約が存在した事実が裁判記録として残された。当時、吉野氏は「米国では一定期間を経ると公文書を公開する仕組みがあり、日本でも整備すべきだ」とも述べている(*3)。

それはさておき、その裁判の中で、VOA沖縄送信所の返還交渉について、次のような内容が明らかにされている。

日本政府が「外国政府を代表する放送は実施することができない」とする電波法を盾に、米国政府に撤去と土地の原状回復を求めたものの、当時の米国は財政難で、政府や議会内でも「その放送が中国向けではあるが、敵性を持った内容ではない」との主張があり、(最終的に400万ドル(当時のレートで約14億円)に及んだ)補償費の負担を拒否。財政難の中で「多額の負担をするならば、沖縄は返還しなくともよい」とする主張もあったとされる。

この内容から、沖縄返還そのものが問われる緊迫した交渉が行われていたことがわかる。最終的にVOA送信所跡地の返還については、沖縄返還から5年延期され、77年に閉鎖(フィリピンへ移転)。国頭村、恩名村、北谷村に存在していた土地も、78年までに全て、日本へ返還されている。

この返還交渉では、現在、韓国の済州島から放送されている極東放送(FEBC)の停止と返還についても交渉が行われ、結果として、沖縄にあったFEBCも撤退し、新たに民間放送局(現在のエフエム沖縄)が設立されるに至った。

【参考記事】
 【FM沖縄】 復帰50周年特別番組 ライセンス アメリカと日本のはざまで ('22.05.15)

【関連記事】
 (Twitter) FEBC時代の極東放送の録音も発見され、貴重な歴史番組です。当時の極東放送を聴かれたことがある方は必聴。 ('22.05.15)
 A20 戦後沖縄、ラジオ局のはじまり ('20.10.10)
 A20 文化放送特番、玉音放送直前のVOA日本語放送('20.08.06)
 A14 創始者ボブ・ボウマン氏とFEBCの歴史('14.06.28)
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posted by ラジオの声 at 08:45| 短波放送 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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